“曖昧”な決め方でも3・3・3・3で続けていける

皆さんはこれまで進路をどのように決めてきましたか? 和歌山県の山間部、日高郡龍神村(現・田辺市)に6 人きょうだいの末っ子として生まれた私の人生にも何度か節目がありましたが、その決め方は実に“曖昧”でした。幼い頃から本を読むのが大好き。わからないことがあると「なぜ?」「どうして?」と、くどいほど聞くので、周りから「クドちゃん」と呼ばれるほど。将来の夢は教師になることで、「先生になるんだ」とずっと思って育ちました。ところが大学入試に失敗。さてどうしよう……、そう思っていたとき、母に言われた「保健師になれば?」の一言で決断。保健師になろうと看護学校へ進学しました。

 しかしここで、人生で初めて劣等生に転落します。やるべきことがはっきりしている医師の仕事はわかる。でも、看護師の仕事はわからない……と悩みました。1 年たったらやめよう、2 年たったらやめよう、そう思いながら過ごしていました。ただ3 年目に入ったら、もう卒業したほうが早い、そう思って頑張り、保健師になるためにもう1 年、当時あった保健師と助産師の2 枚免許が取れるコースで学び……、でも保健師にはなりませんでした。当時、友人と「和歌山県立医大に行こう」と話をしていて、そこへ助産師として入職することにしました。私にとって進路とは、大志を抱いて決めるものではありませんでした。

 実際に助産師になって思ったことは「助産師の仕事は奥が深いけれど私にとってはわかりやすい!」でした。多くの病気をみなければならない看護師と比べて、助産師のやるべきことはわかりやすかった。また、腹帯を巻くお祝い事なども楽しさを感じさせてくれ、新人時代は「よく遊び、よく学べ」がモットーだったような気がします。目の前の仕事をきちんとこなし、仕事から離れたら何か心躍ることをと考えていました。もちろん楽しいことばかりではなく、「先輩の指導がよくわからない」「医師と考え方が違う」と、辞めたくなることもありました。

 そのときに支えとなったのが自称「3・3・3・3 の法則」です。少なくとも3 日、もう3 週間、あと3 カ月、なんとか3 年やってみようと、考えるのです。そうすると節目が見えてきて乗り越えていけます。難しいことに直面したとき、後ろ向きにならずに上手に気持ちをコントロールしてみてください。

坂本 すが(さかもと・すが)

東京医療保健大学副学長・看護学科長。和歌山県龍神村に生まれ、助産師、看護管理者として現場のマネジメントに携わる。2011 年から3 期6 年、日本看護協会会長を務める

▼出典元 Nursing BUSINESS(ナーシングビジネス)2020年1月号
https://store.medica.co.jp/item/130212001
▼Nursing BUSINESS(ナーシングビジネス)トップページ
https://store.medica.co.jp/journal/21.html

Scroll to Top