看護師資格を取得した1990 年。あの頃は男性看護師として一生働けるのかが一番心配でした。とくに手術室で働いていた当時は、医師からの罵声や圧力が普通にあった時代で「何歳まで我慢できるかな……。40 代以降はこんな働き方はできないな……」と考えることも珍しくなく、いつでも転職できる準備が必要だと思い、何らかの資格だけは取っておこうと、毎年資格取得に挑戦していました。
調理師の資格はそんな中で取得した一つで、今の自分に一番影響しているのかもしれません。23 歳のときに調理師の資格を取得し、何となく飲食業をやってみたいという思いを抱いていたとき、居抜きの居酒屋を紹介され、資金もそんなになかったので当時の国民生活金融公庫から借金をして、25 歳のときに居酒屋を開業することになりました。
昼間は看護師として働き、夜は居酒屋の店長という毎日。店舗拡大なども一時は視野に入れていたこともあり、「お金儲け」というより「小金儲け」をするためにどのように経営をすればいいのかを常に考え、メニューや売り方を工夫するなどいろいろと試したこともありました。借金も1 年半で返済することができたし、何よりもさまざまな職種の人たちと交流を持つことによって、医療職以外のことをいろいろと学ぶことができたこともいい経験だったと思います。そして30歳を超え、二足のわらじも体力的に限界になってきたところで、「看護部長という職位で働かないか」と病院から言われたことをきっかけに店を閉じることにしました。
その後、32歳のときに看護部長に就任。何をやったらいいのかよくわからず、また看護管理を学ぶアイテムもなかった当時、事務長と対等に話ができるように医科点数表など施設基準の本ばかり読む毎日でした。翌年に認定看護管理者教育課程ファーストレベルを受講しましたが、その当時のカリキュラムは「看護」を学ぶ感じで、その後カリキュラムが変更になり、看護部長という職位を活用し、セカンドレベルは受講せず、そのままサードレベルを受講。そこから「経営参画できる看護管理職」というのが自分自身の課題となったのです。
工藤 潤(くどう・じゅん)
医療法人ヘブロン会 大宮中央総合病院 副院長 兼 看護局長。認定看護管理者。1990 年看護師免許取得後、2000 年に看護部長就任。グループ病院のため異動により3病院で看護部長に就任。2020年退職し現在に至る。経営やマネジメントの講演や執筆多数。
▼出典元 Nursing BUSINESS(ナーシングビジネス)2021年4月号 https://store.medica.co.jp/item/130212104
▼Nursing BUSINESS(ナーシングビジネス)トップページ https://store.medica.co.jp/journal/21.html