「災害ユートピア」の核の一つとなるために

 皆さん、はじめまして。東京都立広尾病院にある「減災対策支援センター」の専任医師をしています。当センターは「減災対策」の導入を相談いただいた施設に、研修や訓練を通じた「支援」を行う目的で2020年4月1日より始動しました。翌日からはCOVID-19に対応する自院の体制整備を続けつつ、その学びを「被災時の業務継続のススメ」として活かしています。
 私をこのような道に導いたのは1995年1月17日に発生した大地震でした。当時、医師として成し遂げたいこともはっきりしていない学生だった私に、その出来事が「人生の一大事のときに医師として人の役に立つ」という目的を与えてくれました。その後、私は消化器外科医として職業人生を始め、目の前の課題をがむしゃらに解決し続けるうちに、救急医や外傷医としてさまざまな経験を重ねることになりました。
 また、「災害拠点病院」の整備と私の職業人生は重なっており、DMATや国際緊急援助隊救助チーム医療班の立ち上げ、国際捜索・救助諮問グループ(IN-SARAG)への参加など、災害派遣医療チームの一員として、国内外の災害医療の発展を身近で感じる機会をいただきました。とくに国内外の災害対応や救助部隊との合同訓練では、多組織連携の難しさを乗り越え、多組織連携がかなった世界の素晴らしさを実感しました。さらに、政府開発援助(ODA)で、ラオスなどのASEAN諸国、スリランカ、ネパール、タジキスタンの保健医療制度や災害対応の向上に参画し、考え方や風習、宗教、政治体系、経済状況などの多様性を尊重しつつ、目標と到達過程を共有しながら、共通の目的に向かって仕事をする難しさと達成できたときの大きな喜びを経験しました。
 多くの方々と関わる仕事をするときに、いつも心に浮かべる風景があります。それは、皆が自分のできることを惜しげもなく提供して世界を変えていった1995年1月の兵庫県芦屋市での1週間です。この現象は「災害ユートピア」と呼ばれ、年代や洋の東西を問わず災害直後に出現して1週間程度で消えていく世界であることを後に知りました。この「災害ユートピア」の核の一つに病院がなるための準備が「減災対策」です。そう考えて、医療施設の業務継続計画(BCP)の普及を進めています。

中島 康(なかじま・やすし)
地方独立行政法人東京都立病院機構 東京都立広尾病院 減災対策支援センター 部長。
日本DMATインストラクター。アクション・カードや減災カレンダーなどの対応・教育ツールの開発・普及や訓練の企画運営評価など、主に公的機関・医療機関の減災・準備を支援中。

▼出典元 Nursing BUSINESS(ナーシングビジネス)2023月1号
https://store.medica.co.jp/item/130212301
▼Nursing BUSINESS(ナーシングビジネス)トップページ
https://store.medica.co.jp/journal/21.html
Scroll to Top