医療・看護現場の心理的安全性に人工知能はどう役立つか

皆さんは心理的安全性という言葉からどのようなイメージを抱くでしょうか。
おそらく直感的に「優しい環境」であると感じられる方が多いのではないでしょうか。
そして人工知能という言葉からは「精密で機械的な反応」というイメージを感じる方が多いと思います。
実はこれら2つには大変重要なつながりがあるのです。
今回は心理的安全性を前提として国内最大規模の眼科部門を率いると同時に、人工知能技術を実際の臨床に応用してきた実践者である筆者が、その関連性についてお話をさせていただこうと思います。

心理的安全性とは

心理的安全性を伝えるために最もわかりやすい表現は、エイミー・C・エドモンドソンが自身の博士論文で発見した「良い病院はミスが多い」という言葉に集約されます。
良い病院はミスを責められることなく、どのようなアイデアも発言しやすい環境、すなわち心理的安全性が存在しているため、ミスを発見した医療スタッフはすぐに「ミスを報告」できるからです。

「ミスが多い」=「ミスの報告が多い」

この研究は、まず「良い病院」と「悪い病院」を見つけたわけですが、そのときの基準が、ICUの治癒率や患者数でした。
良い病院はたくさんの患者を早く治しているという病院のことを指すわけです。
そのような「良い病院」はそうでない「悪い病院」に比べてミスの数が多かったのです。
これがエイミー・C・エドモンドソンの大発見でした。
そのような病院でミスが多いということは、つまりミスの報告が多いということと同義だったのです。
ミスは報告されなければなかったことになります。

「ミスの報告」から改善サイクルが回り出す

もしミスを起こしてしまった人への個人攻撃をしていたなら、心理的安全性は崩れ、その後の報告は抑制されるでしょう。
「良い病院」では、犯人捜しではなく運営システムの問題を見つけ出します。ミスを起点として改善サイクルが起動します。

それではそんな良い病院なのに、なぜまたミスが生じるのでしょうか。
それはその良い病院の仕事量が改善サイクルの結果、増え続けるからです。
あるミスの原因に対策を講じてもまた別のミスが生じるからです。
一方で悪い病院のほうは、ミスそのものが報告されず改善サイクルが回り出しません。
ミスの実数も増えることはないのです。悪い病院ではそういう悪循環に陥り、良い病院との差はさらに拡大していきます。

ミスを目の前にしたときに報告はできますか?

心理的安全性のある理想の環境の話はそこまでにして、皆さんが実臨床で医療ミスを起こしてしまった、目のあたりにしてしまったと想像してください。
そのことを正直に組織に報告することはできるでしょうか。
心理的安全性は本当に担保されているという自信はあるでしょうか。

残念ながら、それは実に難しいことです。
極端なことを言えば、法的責任を背負うことになる可能性すらあります。
裁判というのは責任と罰則の手続きに終始するところで、改善サイクルの起点にはならないのです。
そもそもミスの発生にすら気づかないことがあるのが人間の問題であることも共感いただけるかもしれません。

人工知能がなぜ必要なのか?

筆者の施設では人工知能システムで手術に関する医療過誤の防止システム(以下、システム)を社会実装しています。
システムが対象にしているのはID、左右、眼内レンズの3項目です。2年間で約18,000件の眼科手術を実施してきましたが、残念ながらその間で、5件の医療過誤が発生しました。
3件の左右間違いの注射処置、2件の眼内レンズの入れ間違いです。
5件中4件でシステムが未使用、残りの1件もシステムは正しく認証していたのにスタッフの伝達が遅れ麻酔薬が反対眼に注射されたものでした。
この間、システムは28件のニアミスを発見し医療過誤を抑制しました。
医療過誤やニアミスの数がいかに多いかということをお伝えしたいのです。
人工知能は完全な心理的安全体なのです。100%のミスを検出し報告してくるのです。

* * *

筆者の施設において人工知能導入前のミスの報告率は現在の約3分の1でした。
筆者自身は心理的安全性を日本で一番大切に、組織をつくって運営してきた自負があります。
それでもやはり、ミスの報告というのは難しいもので、それを隠したくなる、なかったことにしたくなる心理は人間の本質の一つです。
普段から「患者さんのために……」と真面目に働いている医療従事者の皆さんなら、なおさらだと思います。
「この私がそんなことを起こすなんて」という心理です。
ただ残念ながら私たちは人間です。
ミスは誰にでも起きるし、それは経験数やスキルに無関係なのです。

田淵仁志(たぶち・ひとし)
広島大学大学院医系科学研究科 医療のためのテクノロジーとデザインシンキング 寄附講座教授
社会医療法人三栄会ツカザキ病院 眼科主任部長

大阪市立大学医学部卒。同大学院で大脳視覚生理学、とくに視覚情報処理を研究。眼科臨床データベースを自主開発し、数多くの英語論文、人工知能の眼科応用アプリケーションを生み出した。名古屋商科大学経営学修士号取得。

出展元:Nursing BUSINESS(ナーシングビジネス)2024年6月号

医療安全BOOKS 10
成果につながる、実践にいかすQ&A
医療・看護現場の心理的安全性のすすめ

日本医療マネジメント学会 監修
日本医療マネジメント学会 医療安全委員会委員長/東京医療保健大学 副学長 坂本 すが 監修
広島大学大学院医系科学研究科 寄附講座教授/社会医療法人三栄会ツカザキ病院 眼科主任部長 田淵 仁志 編著

2,860円(税込)
A5判 128頁 ISBN:978-4-8404-8168-7

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