山あり谷あり 私の駆け出し師長時代:CASE①
大阪信愛学院大学教授・松浦正子
2025年8月に刊行した書籍『任命!看護師長』の連動企画。第一線でご活躍の方々に「駆け出し師長時代」を振り返っていただくリレー連載です。
ご自身でライフラインチャートに示しながら、“山あり谷あり”のエピソードをご紹介いただきます。

【困惑期】
私の看護師長としてのスタートは、思いがけない任命からでした。
1996年、看護管理者を志望していたわけでもない私に、看護部長から突然「4月から師長に」と告げられたのです。
配属先は、内科・外科・救急を含む5診療科の混合病棟。17人の看護師で48床をまわす毎日は、多忙を極めました。
初出勤日の緊張感は、今も鮮明に覚えています。
【混乱期】
師長になった当初は管理の知識も乏しく、医師や他の職種との摩擦に翻弄されました。
深夜の緊急入院で医師の協力が得られず、スタッフから抗議を求められた場面もありました。
コンフリクトを「やっかいな揉めごと」として避けたい気持ちが強く、日々の多くの時間を“火消し”に費やしていました。
【少し安定】
そのような中でも、私が特に力を注いだのは人材育成でした。
看護部で初めて目標管理を導入し、目標面接を通して部下のやる気を引き出そうと努力しました。
しかし、新人看護師から「師長さんは話を聞いてくれるけど、必ずまとめてしまうので、自分の思いが空しくなる」と指摘を受け、ただ“聴く”ことの大切さを学びました。
部下の言葉を受けとめる姿勢こそが、信頼の基盤になるのだと気づいたのです。
【モヤモヤ期】
師長3年目にはスタッフの離職が相次ぎ、「どう現場を変えるべきか」と悩む日々が続きました。
自分なりのやり方を模索する中で、“計画通りには進まない”ことを受け入れる柔軟さこそが、管理者に必要だと感じるようになりました。
【転機】
師長になって4年目に受講した「認定看護管理者教育課程セカンドレベル研修」を通して、看護管理の奥深さを実感しました。部長命令とはいえ、ひとたび看護管理のキャリアパスを選択したからには、学びを継続しなければ役割と責任を果たすことはできないと痛感したのです。
そこで私が掲げた目標は、大学院で看護管理学を専攻することでした。
しかし当時、勤務先には進学のための休業制度がなかったため、私は退職を選択しました。
【安定と次の挑戦】
大学院での2年間の学びは苦労の連続でしたが、自己教育力とタイムマネジメントが鍛えられました。
修了後は再び臨床に戻り、学びを実践に生かすことができました。
そして次第に、将来のビジョンを“トップマネージャーを目指す”ことへと定めていきました。
【メッセージ】
新人師長のときに感じる“谷”は、次の“山”へ向かうための大事な助走です。
迷うのは当たり前のこと。だからこそ、一つひとつの小さな挑戦が、あなたを看護師長として大きく成長させてくれるのです。
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松浦正子(まつうら・まさこ)
大阪信愛学院大学看護学部看護学科看護管理学 教授
神戸市看護大学大学院博士後期課程修了(看護学博士)。琉球大学医学部附属病院を経て、2011 年神戸大学医学部附属病院副病院長兼看護部長。2019年日本赤十字豊田看護大学看護管理学教授、2023年より現職。