山あり谷あり 私の駆け出し師長時代:CASE2③
社会医療法人財団石心会 理事・法人看護人事部長
佐藤久美子

2025年8月に刊行した書籍『任命!看護師長』の連動企画。第一線でご活躍の方々に「駆け出し師長時代」を振り返っていただくリレー連載です。
ご自身でライフラインチャートに示しながら、“山あり谷あり”のエピソードをご紹介いただきます。

【困惑期】
2001年4月、私は脳神経外科病棟の看護師長に就任しました。それは外科混合病棟から脳神経外科単科として独立させる新しい取り組みの幕開けであり、私にとってもICU主任からの異動を経ての昇進という大きな転機でもありました。
開設当初は人員体制が整わず、経験豊富なスタッフを十分に確保できない中で、新卒看護師を一度に7名受け入れるという大胆な配属で病棟を動かすことになりました。
新人教育と日常業務を同時に進めながら、混乱を最小限に抑えようと必死に舵取りをしていた日々が思い出されます。
【混乱期】
脳外科という専門領域は急変対応も多く、医師との連携が不可欠です。
時に意見が衝突し、厳しいやり取りになることもありましたが、互いに患者の命を守るという一点で結束し、徐々に信頼関係を築くことができました。
むしろ、言いたいことを率直に伝え合える関係性が、チームの強さに繋がっていったのだと思います。
一方で、当時の私は転がる石を必死にかわし続けるばかりで、先を見通したゆとりあるマネジメントができていたとは言い難かったかもしれません。
【安定していたような期】
それでも日々の試行錯誤の積み重ねは、確実に病棟を安定させていきました。
新人たちが次第に一人前へと育ち、職場の空気も落ち着き始めた頃、私はさらに教育担当師長を兼務することとなりました。
病棟運営と人材育成の両立は簡単ではありませんでしたが、「次の世代を育てる」という使命感が、自分を走らせ続ける原動力になっていました。
やがて、個々の成長をどう支えるかを考えるうちに、人材育成そのものの奥深さに惹かれていきました。
経験だけでは測れない成長の段階や学びのプロセスに関心が広がり、後にラダー制度導入へとつながる基盤をこの時期に意識し始めていたように思います。
教育は仕組みではなく、人の可能性を引き出す営みなのだと、現場で実感する日々でした。
【転期】
こうして気づけば4年間、ひたすら全力で走り抜けていきました。
振り返れば、山も谷もあり、決して平坦な道ではありませんでしたが、その一つひとつの経験が私を鍛え、次なる役割への橋渡しをしてくれたのだと思います。
2005年、私は副看護部長に就任しました。
看護師長として過ごした4年間は、私にとって苦労と成長が凝縮された、かけがえのない時間だったと今も感じています。
【メッセージ】
看護師長として初めは戸惑うことも多いですが、その一歩一歩が確かな力になります。
仲間とともに歩めば、必ず明るい未来が待っています。
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佐藤久美子(さとう・くみこ)
社会医療法人財団石心会 理事・法人看護人事部長
東京医科歯科大学医学部附属看護専門学校卒。同大学病院脳神経外科病棟勤務を経て、結婚・転居を期に川崎幸病院に就職。就職時は非常勤でスタート。転がる石をかわすような日々を過ごし、気がついたら現職。認定看護管理者、医療経営学修士(h-MBA)。
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「任命! 看護師長:実務にすぐ役立つ知識・スキル・マネジメント思考」(立ち読み)






